昔々、高い塔に閉じ込められた少女がいました。
少女の名前はラプンツェル。
本来の物語ならば、彼女は塔でひとり、王子と出会うはずでした。
しかし、その頁の「ひとりで」という言葉は、「“ふたり”で」へと書き換えられていました。
こうしてラプンツェルには、双子の姉が生まれました。
姉の名前はヴィルヘルミーネ。
気が弱く、臆病で、けれど誰かを放っておくことのできない優しい少女でした。
二人は幼い頃、魔女によって塔へ連れ去られました。
窓は遥か頭上にひとつだけ。
食事をするときも、眠るときも、歌うときも、二人はずっと一緒でした。
怖いことは二人で分け、嬉しいことは二人分にして喜びました。
窓辺で歌うのは妹。
その歌を聞きながら魔法を学ぶのが、姉は好きでした。
ラプンツェルとヴィルヘルミーネ、二人でひとつ。
片方だけでは、何を選び、どこへ行けばよいのかも分からない。
それが、ヴィルヘルミーネにとっての当たり前でした。
ある日、姉妹の歌声を聞きつけた王子が塔を訪れました。
王子が語る外の世界に、ラプンツェルは目を輝かせました。
やがて二人は恋に落ち、王子は姉妹を塔から連れ出そうとしました。
ラプンツェルは、差し出された手を取りました。
けれど、ヴィルヘルミーネには取ることができませんでした。
外の世界が恐ろしかったから。
魔女をひとり残していくことが、少しだけ可哀想だと思ってしまったから。
そして何よりも、違う道を選ぶ自分を、想像したことがなかったからです。
生まれてからずっと二人だった姉妹は、その日初めて別々の人生を歩み始めました。
ヴィルヘルミーネは無意識に二人分の食事を用意しました。
朝になれば隣の寝台へ声をかけ、夜になれば誰もいない窓辺で、妹の歌を口ずさみました。
しばらくして魔女は寿命を迎え、塔と魔法の知識を遺して亡くなりました。
残されたのは、そこに住みついていた小さな妖精たちだけ。
妖精たちは彼女を慕い、肩へ静かに留まってくれます。
それでも、言葉を返し、手を握り返してくれる妹の代わりにはなれませんでした。
ヴィルヘルミーネは、ひたすら魔法を学びました。
集中している間だけは、隣に妹がいないことを考えずに済んだから。
治癒の魔法。草花を育てる魔法。遠くへ言葉を届ける魔法。
悪夢を小瓶へ閉じ込める魔法。迷った者を導く灯火の魔法。
ある日、彼女は術式の一部を誤りました。
その魔法によって、彼女自身の時間が止まりました。
肉体は老いることをやめ、病でも死へ至らず、傷も長い時間をかけて元へ戻る。
人間の寿命から大きく外れた、半永久的な不老の身体。
魔法が成功したのか、失敗したのか。
彼女には分かりませんでした。
ラプンツェルからは手紙が届き続けました。
王子との暮らし。初めて見た海。城下町の祭り。春の花。秋の果物。
塔の外を知らない彼女にとって、手紙だけが外の世界へ通じる窓でした。
やがて力強かった筆跡は細く、震えるようになっていきました。
それでも、鏡に映る姉の顔は、別れた日のままでした。
毎月届いた手紙は季節に一度となり、やがて一年待っても届かなくなりました。
最後の手紙は、妹の筆跡ではありませんでした。
ラプンツェルが穏やかに生涯を終えたこと。
最期まで、塔に残した姉を想っていたこと。
そのとき彼女は初めて、自分が本当に独りぼっちになったことに気づきました。
外は怖い。
知らないものばかりで、隣にはもう手を握ってくれる妹もいない。
長い間、彼女は塔の扉を開けることができませんでした。
それでも、願うようになりました。
妹が手紙に書いてくれた海を、町を、森を、人々を。
今度は、自分の目で見てみたいと。
「妹が愛した世界を、わたくしも知りたい。」
それは、妹の歩いた道を追いかけるための願いでした。
同時に、「二人でひとつ」としてしか存在できなかった彼女が、
自分一人の人生を始めるための願いでもありました。
何年、何十年、あるいは何百年が過ぎたのか。
本人にも、もう分かりません。
妹の声も顔も、思い出すたびに少しずつ違っていく気がします。
多くの魔法を身につけた魔女でありながら、
一人で外へ踏み出すことだけが、今もできません。
今日も彼女は塔の扉の前に立ち、怖くなって動けなくなります。
誰かに無理やり連れ出してほしいわけではありません。
いつか自分から手を差し出して、自分の言葉で伝えたいのです。
「わたくしと一緒に、
外へ行っていただけませんか」
こうして、ふたりで閉じ込められた塔の物語は、たったひとりの魔女とともに、今も次の頁を待ち続けている。