ヒキガエルから逃げた親指姫は、スイレンの葉の上を流されていた。
本来の物語ならば、そこへコガネムシが現れ、親指姫を連れ去る。
やがて野ねずみやモグラに出会い、ツバメと共に暖かい国へ渡る。
そして王子と結ばれて、物語は幸せに終わるはずだった。
しかし、その頁には、いるはずのない蝶が飛んでいた。
名前は、りり。
りりは、花蝶族の女の子だ。
花と蝶の性質を持つ種族で、花畑で遊び、花の蜜を好む。
おしゃべりが大好きで、一か所に留まらず、自由に飛び回っている。
正しいかどうかは、あまり考えない。
どっちのほうが楽しそうか。
りりにとって、大事なのはそれだけだった。
「1箇所に留まらず自由に飛びたいよね」
興味を持ったものにはとことん夢中になり、なくなれば驚くほどあっさり別のものへ移っていく。
花も、綺麗なものも、人間さんも、同じように「気になるもの」だった。
ある日、りりは葉っぱの上に、小さな女の子を見つけた。
女の子は泣いていた。
「なんで泣いているんだろう?」
蝶の羽をひらめかせて、りりはすぐそばまで降りていった。
涙の理由を聞くよりも先に、泣いている顔をじっと見つめていた。
助けてあげようと思ったわけではない。
ただ、気になった。
見ているうちに、りりはこう思った。
この子と一緒にいたら、面白そう。
そこへ、コガネムシが現れた。
親指姫を連れていこうとするその姿を見て、りりは感じた。
せっかく面白そうな子を見つけたのに。
連れていかれることも、そこから物語が進んでいくことも、面白くない。
だから、りりは選んだ。
親指姫をコガネムシに渡さず、そのまま連れて逃げること。
その瞬間から、物語は原作とは違う頁へ進み始めた。
親指姫は、りりと共に旅をすることになった。
野ねずみにも、モグラにも、ツバメにも出会わない。
暖かい国へ行くことも、王子と出会うこともない。
王子と出会う物語そのものが、なくなった。
親指姫がどちらを望んでいたのかを、りりは確かめなかった。
どちらの結末が幸せかではなく、どちらが面白そうか。
それだけで、一冊の童話の行き先が変わってしまった。
りりが選んだのは、親指姫のための幸せな未来ではなかった。
ただ、「こっちのほうが面白そう」という、その瞬間の興味だった。
二人は知らない場所へ飛び、知らない人と出会った。
花畑で遊び、おしゃべりをして、本に書かれていない、自分たちだけの物語を増やしていった。
最初は、泣いていて気になった子。
一緒に過ごすうちに、一緒にいると楽しいから好き、という気持ちが生まれた。
親指姫を、特別扱いしているわけではない。
離れれば、寂しさを感じることもある。
けれど、ずっとそこに留まりはしない。
楽しみがなくなれば、別の場所や別の人へ飛んでいく。
嫌いになったからではない。
りりにとって、楽しいことはひとつじゃないからだ。
自分が連れ去ったことで、王子との未来が消えたことを、りりは理解している。
それを、悪いことだとは思っていない。
「王子様と出会って幸せになる?……それって、そんなに大事?」
決められた結末より、知らない場所へ行き、知らない人と出会うほうが面白い。
未来を奪ったのではない。
つまらない結末を、面白い結末に変えただけ。
「つまらない結末よりこっちの方が面白い!」
りりは、人にも同じように興味を持つ。
相手の表情や感情が変わるのを、見るのが好きだ。
悲しみや怒りでさえ、好奇心の対象になることがある。
どうしてそうなったんだろう。もっと見てみたい。
その先に何が起こるのかを、深くは考えない。
そして興味がなくなれば、執着もあっさりと消えてしまう。
「ふ〜ん、そうなんだ」
その一言で、羽はもう別のほうを向いている。
悪気はない。だからこそ、誰にも止められない。
今日もりりは、楽しいことを探して飛んでいる。
大きな武器も、冒険の話も、不思議な箱も、気になるものは全部近くで見てみたい。
「ねぇねぇ!」と声をかけ、あのね、と話し始める。
おやゆび姫がね、と旅の話が始まれば、もう止まらない。
次に興味を持たれるのは、あなたかもしれない。
「面白いこと、楽しいこと、
たくさん教えて!」
こうして、ハッピーエンドから連れ去られた物語は、誰にも行き先を知られないまま、今も楽しいほうへ飛び続けている。