ピーター・パンは、大人になりたがらない少年だった。
本来の物語で、彼は子供であることが楽しく、幸せで仕方がない。
大人になりたがることなど、理解もできない。
そこには、恋人の姿もない。
しかし、その頁には、原作に存在しなかった一人の少女が書き加えられていた。
ピーターの恋人、リーリアである。
それは、ピーターがまだ、ちゃんと歳を重ねる人間だった頃のこと。
リーリアは一つ歳下の恋人で、髪はピーターと同じ赤毛だった。
華奢な身体に白い肌。
家から出ることも、外の世界と関わることも、あまり考えたことがない。
天真爛漫で、わがままで、夢見がち。
彼女の世界には、ピーターしかいなかった。
「リア」と呼び合う、二人だけの世界だった。
ある日、仕事帰りのピーターは、疲れ切った顔でこぼした。
「大人になりたくないな〜。楽しいことだけして、リアと一緒にいたい」
それは、誰の口からでもこぼれるような、ありふれた弱音だった。
明日になれば、ピーター自身も忘れてしまうような一言だった。
けれど彼女は、それを本気にした。
リーリアは魔女を訪ね、不老不死の薬を買った。
代償は、呪いがひとつ。
自分を愛してくれている人にしか、自分の姿が見えなくなる。
「声も届くし、私にはピーターがいるし関係ないわ!」
彼女は気にする様子もなく、それを受け取った。
そして薬を、ピーターと自分の飲み物に隠し入れた。
大好きな人の願いを、叶えてあげるために。
こうして二人は、不老不死になった。
これで永遠に一緒。
楽しく幸せだったのは、最初だけだった。
ピーターは、本当に歳をとらなくなってしまった自分に、日に日におかしくなっていった。
「こんなの望んでいなかった」
「元に戻してくれ」
そう嘆き、縋り付くピーターに、彼女は微笑んで言う。
「大丈夫。私は傍に居るわ。永遠に…。」
すべての元凶は、飲み物に薬を入れた恋人だった。
ピーターの心から恋は消え、恐怖だけが残った。
その日から、呪いは静かに働き始めた。
ピーターには、もう彼女の姿が見えない。
声だけが、毎日耳元で聞こえてくる。
「永遠に一緒よ」
彼にとって一番恐ろしい言葉を、見えない恋人が囁き続ける。
赤かった彼女の髪は、いつの間にか白くなっていた。
呪いの影響か、老いか、あるいは美貌か。誰にも分からない。
リーリアは、何も気づいていない。
嫌われるなんて、微塵も心配していない。
何で無視するのかしら、最近は体調が悪いみたい。
お前なんて嫌いだと言われても、恥ずかしがっているのだと笑うだけだ。
「またそんなこと言うの…ピーターがリアのことだ〜いすきなの、知ってるんだから!」
「愛? そんなの考えたことないわ! リアとピーターはそーしそーあいなの!」
執着も、奉仕も、ときめきも、運命も、彼女の中では区別がない。
一緒にいるのが当たり前。それだけのことだ。
「そんなの、好きな人と一緒にいたいなんて当たり前じゃない。そんなこともわからないの?」
彼女はただ、ピーターの言葉を信じて、その願いを叶えたかっただけ。
素直で、ピーターしか知らない無知が生んだ物語だった。
リーリアは時々、自分の本を抜け出して、別の本へやって来る。
様々な登場人物が集う場所、APOCRYPHA。
自分の本の外では呪いが働かず、誰の目にも姿が見える。
彼女がここへ来るのは、ピーターの話をするためだ。
読者がピーターを忘れないように。
彼が元気を取り戻したとき、ちゃんと居場所があるように。
あとは、単に惚気たいだけである。
「私はリーリア! 気軽にリリィと呼んでいいわよ!」
けれど「リア」と呼ばれた途端、その声は止まらなくなる。
「リアはダメ。私とピーターだけのなの。やめて。やめて。やめて。」
ウェンディーの名を聞けば頬をふくらませ、大きな音で驚かしてやるのだと無邪気に笑う。
「あんたもピーターの話が聞きたくてここにきたんでしょ!」
恋バナは大好きだ。ピーターの話がたくさんできるから。
同じ名前を名乗る者が現れれば、ふんと鼻を鳴らして、パチモンだと切り捨てる。
今夜も彼女は、弾むような声で話し始める。
「最近ピーターは体調が悪いみたいなの…。ひどいのよ! 全っ然リアのことかまってくれないの!!」
そして話し終えれば、また自分の本へ帰っていく。
姿の見えない部屋で、彼の耳元に、そっと唇を寄せるために。
「永遠に一緒よ。
愛しているわ、ピーター!」
こうして、書かれなかった恋人の物語は、今も終わることなく、同じ言葉を囁き続けている。