本来の物語には、嘘つきな羊飼いの少年がいる。
少年は「狼が来た」と嘘をつき、村人たちを何度も騙す。
やがて本当に狼が来たとき、もう誰も少年の言葉を信じない。
羊は喰われ、物語は嘘をつくなという教えで終わる。
しかし、その頁は書き換えられていた。
あるところに、正直で心の優しい羊飼いと、その羊飼いに助けられたライオンがおりました。
そのライオンは、雄同士の縄張り争いに敗れた。
かつていた土地に、もう居場所はなかった。
森へ、サバンナへ、様々な場所を転々とする日々が続いた。
負けた雄に、帰る群れはない。
どこへ行っても、そこは誰かの縄張りだった。
彼はただ、歩き続けるしかなかった。
腹が減れば狩りをする。けれど、もう誰かのために吠える理由はなかった。
転々とする中で、ある話を耳にした。
野生の狼に、羊飼いの羊が頻繁に喰われているという。
そのとき、ふと思い出した顔があった。
昔は赤ん坊だった、あの坊主。
今は羊飼いをしていると聞いた。
狼は群れでやって来る。少年一人で守り切れるものではない。
知らない顔をして通り過ぎることも、できたはずだった。
それでも、なにか力になれないか。
そう思ったとき、足はもう坊主のもとへ向かっていた。
やはり、坊主の羊も被害にあっていた。
狼を退治するため。
羊を喰われないようにするため。
ライオンは、羊追いとして坊主と共に過ごすことになった。
牧羊犬ならぬ、牧羊獅子である。
坊主は、大きなライオンを前にしても逃げなかった。
羊たちも最初こそ怯えていたが、やがて慣れて、足元で草を食むようになった。
羊を喰うはずの獣が、羊を守る。
おかしな協力関係は、こうして始まった。
坊主は正直だった。
狼が出ることを、村にしっかりと伝えた。
嘘など、ひとつもついていない。
ところが、ライオンがあまりにも見事に狼を追い払ったせいで、村には狼の影ひとつ見当たらない。
村人たちは首をかしげ、やがて坊主をこう呼んだ。
嘘つき、と。
本来の物語と同じ言葉が、まったく違う理由で、少年に向けられてしまった。
自分が働きすぎたせいで、友が嘘つき呼ばわりされる。
これには、さすがのライオンも頭を抱えた。
けれど、誤解はすぐに解けた。
少年は嘘つきではない。
狼の姿がないのは、それを追い払う者がいるからだった。
本来の物語なら、誰も少年を信じず、羊はすべて喰われるはずだった。
この物語では、羊は無事で、少年は信じてもらえた。
たった一文の書き換えで、教訓話は、ひとつの友情の話に変わった。
誰かが嘘をつかなければ、物語はこんなにも穏やかに進むのだ。
嘘つきと呼ばれたが、誰よりも優しかった少年。
ライオンは、その少年と友になった。
居場所をなくした雄にとって、坊主と過ごす場所が、ようやく帰る場所になった。
彼の名前は、レオフィ。
レオと、ギリシャ語で友情を意味するフィロイから。
「坊主は、嘘なんかついちゃいねぇ」
レオフィは、狼のすべてを憎んでいるわけではない。
羊を喰う狼は嫌いだ。
けれど、それ以外を喰う狼や話のわかる狼なら、そこまで嫌っていない。
線引きは単純だ。坊主の羊に手を出すかどうか、それだけである。
兄貴気質で、面倒見がいい。
今も羊飼いの少年を「坊主」と呼び、共に暮らしている。
赤ん坊の頃を知っているのだから、いくつになっても坊主は坊主だ。
友のために狼の前に立つことを、彼は当たり前だと思っている。
今日もレオフィは、坊主と羊のそばにいる。
夕暮れの草原で、羊の数を数える少年を横目に、遠くの影へ耳を立てる。
夜になれば少年の隣で横になり、狼の声がすれば片目だけを開ける。
その姿を、もう誰も恐れはしない。
「嘘つきだって?
あいつは誰より正直だぜ」
こうして、嘘から始まるはずだった物語は、一頭のライオンと一人の少年の友情として、今も草原で続いている。